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弱いつながり 検索ワードを探す旅

話題になって購入してみたら意外と「検索キーワード」も関係していたなど。

 

もくじ

はじめに:強いネットと弱いリアル

旅に出る:台湾/インド

観光客になる:福島

モノに触れる;アウシュヴィッツ

欲望を作る:チェルノブイリ

憐れみを感じる:韓国

コピーを怖れない:バンコク

老いに抵抗する:東京

ボーナストラック:観光客の五つの心得

おわりに:旅とイメージ

 

気になった

(グーグルの検索カスタマイズによって)自由に検索をしているつもりでも実はすべてグーグルが取捨選択した枠組みの中

自分を変えるためには環境を変えるしかない。人間は環境に抵抗することはできない。環境を改変することもできない。

(インドについての情報は)ブログを書く人々の行動によってフィルタリングされている

旅は「自分」ではなく「検索ワード」を変える

ネットでは見たいものしか見ることができない。そしてまた、みな自分が書きたいと思うものしかネットに書かない。

検索で重要なのは日本語だけで検索するのを止めること

検索とは一種の旅

いくらデータベースを公開しても、公開された情報を誰も欲望しないのでは意味がない

Hans Rosling’s 200 Countries, 200 Years, 4 Minutes
(このに世紀で世界の国々がいかに豊かに、そして健康になったのかを描き出す動画)

統計的な最適とか考えないで偶然に見を曝せ

10年後20年後を想定した人生計画は基本的に意味がない

旅先での写真をフェイスブックやTwitterにどしどし上げている人がいるがあれでは旅の意味がない。旅先で新しい経験をすることよりも日本にいる友だちにむけて情報発信することのほうが大事になってしまっている。

旅で肝心なのは日常とは異なる環境に自分の身を置き、普段の自分では思いもつかないことをやってしまうこと。フェイスブックやTwitterの視線を気にしているのでは、日常と変わらない。

 

感想

「ネットでは見たいものしか見ることができない」というのは非常にシンプルながらなるほどなあと感じました。
確かにネット環境に身をおいていると自分の知っているもの、どこかで触れたことのあるものから検索することがほとんど(すべて?)でそこに意外性は生まれない。自分の中の枠を超えたものが全然生まれないという話。
ましてや最近は(GoogleNowとかも含め)Googleのカスタマイズが強くなってきておりその枠組から抜けられずにいる。そしてそのことにも気付かないで生活している。

ウェブの世界だけに目を向けていると視界がどんどん狭くなっているのだと思います。

 
サイトを運用するにしてもなんにしても、一旦ウェブの世界を抜けだして生身の感覚に触れていく、ということをグイグイやっていかないと本当に価値のあるセンテンスだったり、まだウェブ上に存在していないコンテンツは生まれないのかもなと思った次第です。

書を捨てよ町へ出よう、ってこんな感覚なんじゃないかと。

最近の読書の中でもおすすめの一冊。


(書籍・kindle両対応)


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